上伊由毘男のブログ

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調教を教育と、虐待を体罰と言い換えるのはもうやめよう

私が学校に通ってた頃(昭和の頃ですが)、今で言う体罰や部活動におけるシゴキは当然のように行われていました。保護者や外部の団体等から問題視されることもなかったです。私自身も、ああ学校とはそういうところなのだ嫌だなあと思いながら通っていました。


そしていわゆる社会人となり、、ああもう嫌な学校に行かなくてすむ、と思ってたのですが、会社はやはり私にとって嫌なところでした。
学校の時のように直接暴力を受けたり、あるいは私自身が非人道的な言葉で罵られる、ということこそなかったものの、職場ではいつも怒鳴り声が飛び交っていました。社会人というのは常識と理性があるものだと思ってた当時の私にとって、ただ感情のままに怒鳴り散らす上司の存在は、信じされませんでした。指示や指摘など普通に言えばいいようなことでも怒鳴ってました。私が怒鳴られた時はもちろん、他の人が怒鳴られている時も、生来臆病な私はビクビクビクビクしてました。会社にいる間は生きた心地がしませんでした。
そのうち、会社にいる間だけではなく、仕事が終わった後の帰り道でも、そして特に朝会社へ向かうときにも、会社は恐ろしい嫌だ嫌だ嫌だという気持ちが夜中の雪のように毎日毎日積もっていくようになりました。今で言ううつ状態だったのでしょうが、当時の私はそもそもそんな病気の存在すら知らず、ただ、私がいくじなしなのが悪いのだ、これに耐えて仕事をしてこそ一人前の社会人なのだと、必死で自分に言い聞かせ、気持ち悪いのを我慢しながら会社に通ってました。
しかしそれも限界がきて、とうとう会社を休んでしまいました。仮病しました。実際に何も手につかず体も動かず寝込んでいたので今思えば仮病とも言い切れなかったかもしれませんが。
そうして、二日、三日と休み、会社を休んでしまった罪悪感がどんどん深まっていると、上司から電話がかかってきました。家で寝てるような病気でそんなに何日も寝こむわけがない、とにかく出てこいと言われました。
重い体をひきずって会社に行き、なぜ会社に来ないという上司の問いに、毎日怒鳴り声が飛び交ったりミスをしたわけでもない通常の指示ででも怒鳴られるような職場は怖くてたまらない、と言いました。それに対する上司の返答がとてもショッキングで、今でもはっきり覚えています。
「サーカスだと思ってくれ。動物に芸を仕込むときにはムチも使うし怒鳴りもするだろ。それと一緒なんだ」
二重の意味で驚きました。新入社員とは言え人間を動物扱いしていることと、そのことが説明になっていると思っていることと。


学校で体罰が横行するのも、同じ理由なんだと思います。


体罰は教育の一貫だ、などと耳にしますが、やはり生徒を動物か何かだと思っているのでしょう。自分の言うことを聴かせる≒芸を仕込むために、怒鳴りもするし殴りもする。そしてそれを正しいと思っている。
家庭での児童虐待が問題視されていますが、親がやってはいけないとされていることを、学校ではやっていんですか?
体罰は、教師による児童虐待そのものと言えるのではないでしょうか。
暴力や恫喝で言うことをきかせるのは、教育ではなく調教です。


さらに言えば、組織の中で「エライ人に逆らうとヒドイ目にあうから理不尽だろうとなんだろうと言われたことに従う」ということをまだ人格形成途中の年代に学校で徹底して叩き込まれるからこそ、大人になってからも、不法な労働を強要されながら逆らうことも辞めることもできず、心身を壊したり死に至ってしまうようなことが起こると考えられます。


学校は、ブラック企業のために人材を育ててるブラック教育機関なんでしょうか。


どうなんでしょうか。