上伊由毘男のブログ

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若者と呼ばれた時期はとうに過ぎ去るも高齢者として優しくされるにはまだ年月が要る

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現在、我が身を取り囲む全ての境遇は、これまでの生き方の結果である。それは、慢心、環境の違いだとか、努力がとか世の中がだとか言う以前の、受け入れなければならない現実そのものだ。


世の中に必要とされる能力も、生き続けていくための蓄えもなく、気軽に会って笑いあえる友も、愛してくれるパートナーも、無理して夜中や長時間働く体力も、そして帰る故郷の家も失ってしまった。僅かな収入で食いつなぐためには、ひたすら世の中との接点を断つしか無い。外に出れば何かとお金つかうからね。それだから、消費経済に貢献することもできず、日々上がる物価に頭を悩ませる日々がこれからも続くのだろう。


それらは全て、私の生き方の結果である。それはもう変えることはできない。過去だし。


では、未来は変えられるか。


人は言う。時代を作るのは老人ではない。人生において一番若いのは常に今なんだ。とはいえ、若者からはおっさん扱いされ、高齢者からは若いんだから文句言わずになんでもいいから働け俺たちの若いころは云々。


私はただ、優しく生きたかっただけなのだ。誰かに怒鳴られたり、誰かを叱りつけたり、機械の調子を確認するかのごとく仕事を監視されたり、相互に見張ったり見張られたり、そういう仕事が嫌だったから、辞めて、新しい仕事を探してきた。
無いね。
この世の何処かにはあるのかもしれないけど、そういう無い。というかそういう職場はきっと辞める人も少ないだろうから求人もなかなか出ないんだろうね。


社会人になりたての頃入った会社は、特に忙しいとかそういうのに関わらず、オフィスで怒号を聞かない日はなかった。普通の指示なら普通に言えばいいのに、怒鳴る。社長は部長に、部長は班長に、班長はわれわれに、怒鳴る。私は毎日怯えていた。ミスをしたとかでもなんでもないのに、毎日怒鳴り声を聞かされるのは、例えそれが自分に向けられてないとしても、恐怖だった。次はお前の番だぞ、と脅されてるようで。毎日泣きたかった。
ある日、新入社員へのヒヤリングという形で上司と話す機会があった。私は、怒鳴られると萎縮してしまうのでやめてほしいと伝えた。それに対する答えは「会社にとって部下は動物と一緒。あれは調教なんだ」。私にとっては耳を疑う返事だった。成人をした社会人を動物扱いして調教するとさも当然のようにさらっと言う。
私は会社の犬になった覚えはない。ほどなく辞めた。


その後はいろんな職を転々とした。一番長く続いたのはコンビニである。社員待遇だった。わりと元気に働けた。だがコンビニのことを理解すればするほど(少なくとも現場レベルでは)コンビニで働くことに未来は無いと感じたので、仕事に殺される前にやめた。


以後、いわゆる非正規雇用で食いつないでいるものの、ご多分にもれず、貯金ができる余裕など無く、毎月毎月生きるので精一杯だ。当面の蓄えができなければ転職もできない。いや、私の年齢と能力で仕事をして、今より収入を増やすのは極めて難しいだろう。
私のような労働者……いや私のような人間には、この世に需要がないのだ。


誰からも望まれてない人生なら、死のうかなという考えが頭をよぎったってしょうがなかろう。夜寝れば悪夢に苛まれ、目覚めれば私を必要としてない世界が眼前にある。街にはたくさんの人がいたって、自分は誰からも望まれてない。そして、それでも生きていけるというほどの強さは、働いているうちに失ってしまった。


年に何回かは、これはもうだめだどうしょうもないって死のうかと思う。でも痛いのヤなんだよ。最後くらい楽に死なせてほしい。