生活保護が国や地方自治体の財政を圧迫しているとしばしば報道される中、すでに破綻状態にあると言える年金は抜本的改革ができず、現役世代を疲弊させている。それが消費減となり、企業収益を悪化させ、税収減となる。企業収益の悪化は多くの給与所得者の収入源や失業を産み、生活保護制度を利用せざるをえない人を増やし、さらに国や地方自治体の財政を悪化させる。
この悪循環を断ち切る方法は、もうベーシックインカムくらいしか残ってないのではないだろうか。
このサイトをずっと読んでくださってる方がどう思ってるかはわからないが、私自身は信者というほどベーシックインカムに心酔しているわけではない。働か(け)なくとも生活できる社会=仕事に殺されない社会を実現する方法が他にあるなら、それで多くの人が納得するなら、それに越したことはない。
だが、冒頭に述べたような問題を解決し、日本と日本人がこれからも生きながらえていくためには、どこかで大ナタを振るわなければならない、それもできるだけ早く。
そのためには、少なくとも、ベーシックインカムは「わかりやすい」し「近道」だとは考えてる。
おさらいしておくと、ベーシックインカムは、極めてシンプルな制度だ。。
ベーシックインカムの社会的正義と機能的合理性:日経ビジネスオンライン
BIとは、「すべての国民に対して、(働かなくとも生活できる程度の)一定のお金を無条件で給付する制度」である。
ポイントは、
(1) 年齢とか性別とか、その他の様々な属性や境遇に関係なく、「全員一律」であること。
(2) 働いていようが、働いてなかろうが関係なく、「無条件」であること。つまり「働かざる者、食うべからず」ではないこと。
(3) 給付されたBIは子供の教育に使おうが、パチンコに使おうが自由にできる、「現金給付」であること。
の3点である。
これに対する反対論は主に、
「働く人がいなくなる、労働の尊さを忘れる」
「財源問題」
であるかと思う。
最初の問題だが、ベーシックインカムは今の収入にプラスされるだけで、働いた人が働いた分報酬が得られるという点では何ら変化はないのだ。現行の生活保護のように、働いた分だけ支給が減らされることもないから、現在生活保護を受けている人の自立には役立つことも予想される。年金払わずに生活保護を受けたほうがいいとか、最低賃金で働いたほうが生活保護より少ないといった逆転現象もベーシックインカムにより解消される。労働意欲についてはむしろプラスになることもありえる。それに、給与所得者になることだけが労働ではない、主婦だって、家業を手伝うものだって、みんな働いているではないか。ベーシックインカムに対して、労働の尊さ云々とか言って反対するのは、安く使える奴隷がいなくなるとか考える現代の奴隷商人ことブラック企業の主たちなのだろう。
そして、やはり心配な財源問題だが、これは、消費税を上げて解消すればよいだけだ。
なぜ消費税か。
消費した分から取る税金なのだから、給付した分は消費に回り国庫に帰ってくるということだ。実際問題、人が生活するにはどうしても消費しなければならないのだから。国内でぐるぐるまわるのだから、安定した財源、安定した給付が実現する。
そして、5%では足りないのならば、ベーシックインカムが可能になるまで税率を上げればいい。100%だろうと200%だろうと。そのぶん小売価格も上がるだろうが、そしたら給付水準も上がるのがベーシックインカムの考え方だ。「働かなくとも生活できる程度の一定の金額」を給付するのだから、消費税が高くて生活できないというのは、それは給付水準が適切でないということだ。
この理屈なら、所得税や法人税もゼロにすることができる。歳入をすべて消費税にしたとしても、生活できる分はベーシックインカムで給付されるのだから逆進性の問題は解決済みということになる。所得税法人税がゼロになれば(同様に年金や介護保険料や雇用保険料もゼロになれば)、現役世代の負担も減り、日本企業の競争力も増すだろう。みなさんの大好きな金持ちも海外から移り住んでくれるかもしれない。大企業が海外から拠点を移すかもしれない。
そしてなにより、劣悪な労働環境を我慢する必要がなくなる、ワーキングプアを撲滅することができる。生活を人質に取られての過労死や、ブラック労働環境によるうつ自殺への対策にもなるのだ。
何が労働の尊さだ。人の命より尊い労働などあってたまるか。
おそらくベーシックインカム実現への最も高いハードルは、人の心だろう。
「俺は苦労して生きてきたのに楽して金もらいやがって」
「俺とあんな低能が同じ金額なのが気に入らない」
「働いてもいない奴を税金で食わせるのは間違ってる。無能は死ね」
こればっかりは対策はない。私は人徳者でも人気者でもない。彼らを説得できる気がしない。
せめて、上に記したようなベーシックインカムというか、働か(け)なくとも生活できる社会の良さが、より多くの人に伝わり、賛成してくれるよう願い、言葉を重ねるだけだ。