上伊由毘男のブログ

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司馬遼太郎の「義経」(上)(下)読み終わったがコレジャナイ感が

上巻の感想はこちら


やっと全部読み終わったぞ!
なんだこれは。思ってたのと違う。


五条大橋での弁慶との出会いも、安宅の関も、弁慶の立ち往生もないじゃないか(これらは後世の創作らしいのでわざと無視したのかもしんないけど)。だいたい弁慶がほとんど出てこない。
下巻になって義経が出てきたのはいいんだけど、やたら痴呆痴呆言われまくって、もう少しくらい主人公を美化してもいいんではないか。頼朝の正当性ばかり強調されて、これは「義経」じゃなく「頼朝」に改題したほうがいいかもしれん。
だいたい源氏がクズ。源氏側から書いてる話なのに源氏がクズばっか。頼朝筆頭にクズしかいない。
もちろん、それは現代の目で読むからクズに見えるのであって、時代的には鎌倉武士はああいうものだといいたかったのかもしれん。
しかしそれ言い出したら義経が戦闘しかとりえのない痴呆ってのも現代目線ではないか。我々はことの結末を知ってるから、義経が痴呆って書かれても、せやなあ、とか思うかもしれんけど、当時の人には大人気だった(って当の司馬先生が書かれてる)わけで。
それに、平家滅亡してから義経が奥州で自害するまでが短すぎる。最後に奥州行って自害するまで2行くらいしか書かれてない。ひどい。義経の言い分ゼロかよ。
最後のシメも頼朝の言葉だし、やっぱり改題したほうがいい。



源義経、有名なところでは大河ドラマで2回、日テレで1回テレビドラマ化されてる。いずれも原作は司馬遼太郎じゃないんだけど、理由わかったわ。
もっとも、主人公が痴呆呼ばわりされてて他の源氏がクズばっかりってのはむしろ映像化したほうが面白いかもしれない。どっかの局やらないかな。まあ序盤のあのシーンとか絶対映像化されないだろうけど。