上伊由毘男のブログ

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「家族の絆」という幻想にすがる行政

家族は自分では選べないということを忘れている人が多すぎる。
asahi.com(朝日新聞社):生活保護断られ電気・ガスなし10年 熱中症死の76歳 - 社会

 男性の居住地域を担当する民生委員(67)は「近所の人もほとんど知らない状態だったが、同居の家族がいるから」と安心していたという。生活苦に関する相談を受ける同市北区福祉課も、男性の状況を把握しておらず、「すべての家庭の状況を把握するのは難しい」とした。

家族「だから」面倒を見なくてはいけない、そんな不確かなものをあてにするのが行政の怠慢でなくてなんだというのだ。「絆」などの言葉で美化し価値観を押し付けて問題は解決するか?しないから、児童虐待も起こるし、老人は「消える」のだ。
不明高齢者の半数 家族と同居 NHKニュース
殺人は4割以上が親族等に対して犯されているというデータもある。家族が赤の他人よりアテになるかといえば「そうでもない」のだ。
もちろん、円満な家庭を築いている人もいるだろう。しかしすべての人にそれがあてはまるわけではない。ひょっとしたら円満じゃない家庭の方が多いかもしれないじゃないか。
貧困対策にせよ介護問題にせよ、家庭に押し付けておしまいというのは行政の無策、無能の証である。


もちろん、福祉とて無尽蔵に予算が使えるわけではない。だが10年も電気もガスもないような生活の人が生活保護を受けられず、一方で貧困ビジネスのようなものがはびこっているようでは、金の使い方がおかしいと思うし、そんな状態で福祉予算が足りないというのならそれは使い方が間違ってると言わざるをえない。地域福祉の担い手である民生委員をボランティアで使っておいてどの口が「予算がない」と言うのか。


ようするに、いちいち「この人は生活保護が必要か否か」などと調べているから人手も手間もかかるのである。すべての国民に「福祉給付金」のようなものを給付して、すべての国民が「健康で文化的な最低限度の生活」を営めるようにすれば、生活保護が受けられずに死ぬといったような悲劇は起こらない。その給付は確定申告のときに行うようにすれば、税務署も本気になって調べるだろう。そうすれば、所在の不明な人や悪質な「仲介業者」へ金を使うこともなくなる。


この国にはとにかく福祉に金を使いたがらない「福祉アレルギー」や、逆に福祉の金の使い方を神聖視する「福祉教」がいるようだ。だが、福祉予算をやみくもに削減や神聖視せず、限られた予算で最大の効果を得ることを真剣に考えなければいけない。そのときに「家族の絆」などという不確かなものをあてにしてはいけないのだ。