上伊由毘男のブログ

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自殺は加害者なき殺人

他殺事件の死亡者数が年間約500人、交通事故の死亡者数が年間約5,000人。自殺者数は年間約30,000人と言われている。事件事故の場合は原因等の捜査もされ犯人は裁かれあるいは再発防止対策も行われる。実際他殺事件でも交通事故でも死亡者数は減り続けているという。
自殺者だけがもうずっと3万人を越えている。イラク戦争の民間人死亡者数が3年間で15万人というから、戦争状態にない日本でこれがどれほど異常な数字かわかる。
にもかかわらず、自殺対策が政策としてまともに検討されることはほとんどない。最大の理由は、自殺が「死にたい奴が勝手に死んでいる」と思われていることだろう。
しかし、そもそも動物である人間が、自発的に死を選ぶことが、正常な判断と言えるだろうか。
死にたいと思ってる段階で、もうその人は「死に追いやられている」と理解するべきではないだろうか。

では自殺者を死に追いやっているものは何か?
それはさまざまである。さまざまありすぎて、国ぐるみで自殺に追いつめてるようなものだ。自殺に対する無理解無関心を含めて。
「自殺」とは言うが決して自発的に死んでいるわけではない。自殺は加害者なき殺人とも言うべき状態なのだ。


人生生きていればいろんなことがある。いいときもあれば悪い時もある。それは自分の力だけではどうしようもない。だからこそ、その悪い時に、人がただ生きることを認める社会であって欲しい。生きることを認められなかった人が「自殺」してしまうのだから。


20代、30代では仕事が原因の自殺がもっとも多いという
なんで「たかが仕事」で死ななきゃならないんだ。「たかが仕事」と言って何が悪いんだ。
「そんなこと言ったって食ってくためにはしょうがないだろ」
そうだ。今の我々は、自分の生活を人質にとられ、仕事に隷属させられている状態なのだ。
この人質を解放すれば、「生活のための仕事」という枷を外すことができれば、多くの命を救うことができる。そのためには社会全体で文字通りの安全網セーフティネットを構築していかなければならない。


それができないというなら自殺を安楽死として認めて欲しい。死ぬ権利を。社会保障費も減るし良いではないか。誰の良心も傷めないいい作戦だ。