上伊由毘男のブログ

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日本における貧困の定義

いいのがあったので貼っておく。
Business Media 誠:ちきりんの“社会派”で行こう!:日本に貧困は存在するのか?――“貧困の定義”を考える (1/4)

下記が満たされていれば貧困とは呼ばないと思います。反対に言えば、どれかが満たされていなければそれは「貧困」とよぶべき状態だと思います。

(1)食料確保に不安がない状態

(2)プライバシーと一定の衛生レベルが確保できる住居があること。また、住居と生活様式について、一定の選択ができている状態

(3)家族形態、職業選択などに関する希望を、経済的理由であきらめる必要がない状態

概ね同意。ひとつ付け加えるならば「広範な情報を知ることができる状態」をあげたい。ぶっちゃけネット環境である。世の中に広くゆきわたっている情報に接することが出来ないとすればまさしく「情報弱者」になってしまう。政治や経済などの世の中のこと、公的な援助や仕事に関する情報を得ることも出来ない。なにも光ひけって言ってるわけじゃない。ケータイでもネットブックでもなんでもいい。新聞とる金があればネット代に使えばいい。生活保護世帯はNHK受信料が免除されたり地デジチューナーが無償配布されるらしいが、そんな金があるならネット環境を整備する方がずっと費用対効果がおおきいだろう。もっとも「国策」としてはどうしてもテレビを見せたいらしいが(苦笑)。
「生きてるだけでありがたいと思え」などというのは、失業者を犯罪者以下に扱うのと同義であり、「刑務所に入ったほうがマシ」というような社会保障ならば治安の悪化をまねくことも考えられる。生活困窮者もワーキングプアも失業者もこの日本社会の構成者だということを忘れてはならない。


ついでに、元記事に貼ってあったリンク先より。世界の片隅でニュースを読む : あるホームレスの死

貧困は自己責任ではない。腐敗した官僚と無能な政治家と強欲な資本家と愚昧な大衆の合作による作為である。自分もそんな愚昧な大衆の1人にすぎず、そして何よりこの見捨てられたホームレスは、未来の自分の姿なのかもしれないと思う時、暗澹たる気分になる。
 誰もが安心して生活できる社会はそれほど困難で遠いものなのだろうか?

もちろん私も愚昧な大衆の1人だが、だからこそこういう想像力だけは無くさないようにしたい。