上伊由毘男のブログ

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映画「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」を観た(ネタバレ)

えっ、そうなの?!



映画「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」を観に行った。公式で盛大なネタバレしたし、リピーター向けの施策もあるのであわてて観なくていいかなと思ってたらスクリーン数がどんどん減ってるので急いで観てきた。


子供の頃、「ククルス・ドアンの島」の回は半ば伝説化していた。ザク同士が戦うというシーンにワクワクしつつ、放送当時は家庭用ビデオもほとんど普及しておらず、録画したテープ持ってるやつは英雄扱いだった。だから私は長い間TV版「ククルス・ドアンの島」を観れずにいた。劇場三部作には収録されてないし、TV版ファーストガンダムレンタルビデオ屋に並んだのは、成人してずいぶん経ってからだった(以外にもTV版ファーストガンダムが製品化されたのは放送されてからかなりのちのことである。それが当時の常識だった)。


そうして、大人になってからビデオや配信で「ククルス・ドアンの島」を観てたら、映画化の話が飛び込んできた。これは観ないわけにはいかない。


結果、映画版はまごうことなき「ククルス・ドアンの島」だった。これが安彦良和氏が描きたかった「ククルス・ドアンの島」だというのならそうなのだろう。観終わっての第一の感想はそんな感じだった。
ファンサービスというか、回想シーンとして名台詞を入れたり、そのためだけにシャア出したり、MSVの高機動ザクがバリバリ戦ってたり、プラモの中だけの存在だったガンキャノンのミサイルポッドが出てきてたり、コアブースターがSFSとして使われたり(これはGアーマーのアンチテーゼとしてコアブースターができたという話からすると先祖返りというべきものなのか)と、退屈しない作品になっていた。


これまで、ガンダムはどれから見ればいいの?という質問にはファースト劇場三部作、と答えていたが、今後は本作がガンダムを代表する作品になるであろう。絵もきれいだし。これ観て面白かったらあとはファースト劇場三部作なりなんなり好きなガンダムから観ればいいし、そうでなかったらガンダム向いてないんじゃないかとも思えるわけで。


オールドファンとして気になった細かいところを挙げればキリがない。そもそも時系列がいつなのかわからない。オデッサ作戦前だというのにスレッガーさんがいたり、そのオデッサ作戦にしても、マ・クベが支配するウラル山脈(だよな)を攻め落とす作戦で、ホワイトベースベルファストに入港するのはその後である(マ・クベが核を使う描写はTV版にあるが)。ガンダムではグラナダが月の裏側にあるように、旧世紀(我々の時代)と宇宙世紀で地名が異なることが少なくない。必ずしも現実のオデッサは関係なのではないか(オデッサが起点だからオデッサ作戦て名前にした可能性もあるが)。一年戦争ジブラルタル攻略戦とか聞いたこともない。Vガンダムで、あのジオンでさえ手を出さなかったジブラルタルと言及されてるのに。Vガンダムのことだから安彦氏は知らなかった可能性はあるが(そこはちゃんとスタッフが設定考証しろよとも思う)。あと無人島の飯が豪華すぎとか、高機動ザク強すぎないかとか。それに、ドアンのザクが他のザクを倒すのに意義があって、ガンダムがやっつけちゃったらラストの意味変わってこないか?とか思ったり。まあこれらを「翻案」したのが本作なのだから、言うだけ野暮なのだろう。


とにかく、ガンダム一番の代表作ができたのは間違いない。スクリーン数も減りそうなので少しでも興味のある人は早めに観に行ってほしい。

映画「シン・ウルトラマン」を観た

ウルトラシリーズにはそれほど思い入れはないのだが、シンプルに面白かった。テンポも良く退屈しなかった。終わりも良かった。
ネタバレしない範囲で言うと、山本耕史が良かった。
文章は短いが、私は楽しかったのだ。



<以下ネタバレ>





観終わってしばらくしてからじわじわと感想がわいてきたので追記しておく。
全体的に4話くらいのオムニバスっぽい感じだった。
冒頭、禍威獣にいかに人間が対応してきたかをダイジェスト風に紹介するところはスピード感があって良かった。禍特対の設立経緯にもなっている。
最初の(だよな?)スペシウム光線はモーションがゆっくりでかっこよかった。
最初の宇宙人(本作では「外星人」)がいやらしい感じがじわじわきた。
巨大長澤まさみにはビックリした。ウルトラマンっぽい演出だと思った。
ニセウルトラマンとの対決も、ヒーロー物っぽいと思った。
山本耕史パート(メフィラス)が一番印象に残った。今大河ドラマ(「鎌倉殿の13人」)に出てるので、観るたびに本作を思い出して困るくらいハマリ役だった。財布が分厚かったので何が入ってたのか興味ある。決着をつけないで地球を去ったのは意外だった。
ゾフィー(ゾーフィ)が人類を滅亡というか宇宙を壊すためにゼットンを持ってきたのは驚いた。ゼットンは兵器。人間と力を合わせて倒すのが良かった。タイムカウントも良かった。
ラスト。カットアウトのごとく、その後を観客にまかせる感じなのが良かった。

映画「クラッシャージョウ」を観た

YouTubeで無料配信された「クラッシャージョウ」を観た。1983年のアニメ映画である。当時テレビでCMがバンバン流されてた記憶があるが、その頃子供だった私は観に行くことができず、ずっと気になってた。あれから何十年も経ってこういう機会で観ることになるとは不思議な気分である。


面白かった!スペースオペラって言うんですか、宇宙をマタにかけて主人公たちが大活躍!って感じで。最初から最期までハラハラドキドキしっぱなしで見せ場しか無い。
ロボットが出てこないメカアクションが逆に新鮮だった(パワードスーツみたいなのは出てきたけど)。子供の頃からアニメ=ロボットアニメみたいに思ってるフシがあるから。
作画も今見ても見劣りしないというかCG感が無くて味わい深い。


そして何より、これ単体で1本の映画として楽しめるのが良いと思った。当時劇場で観てた人たちがうらやましい。

サブスク音楽配信は便利で手放せないけれど

iPodが発売された時、真っ先に手に入れた知人は「家のCDラック全部持ち運べるようなもんだよ!いつでもどこでも全部聴けるんだよ!」と軽く興奮気味にその魅力を教えてくれた。
そして今や音楽配信が定額&低額(いわゆるサブスク)となり、あたかもレーベルのカタログごと持ち歩き、好きな曲をいつでもどこでも手軽に聴けるようになった。
私も利用している。この便利さは手放せない。


一方で、こうも思う。
金と時間と部屋に余裕があったら、ちゃんとしたCDコンポで、1枚1枚CDを選んで聴くような生活をしてみたい、と。CD聴きながら、インナースリーブに目を通し、クレジットを確認しながら、耳を傾ける。


若い頃はそうしてたのだ。新譜を買ってきては、ワクワクしながら(ジャケ買いしたような場合は不安も入り交じりながら)開封し、CDをプレイヤーに入れた。ジャケを眺め、インナースリーブをチェックし、ミュージシャンらの名前を覚えていった。
それに、外で聴くためにはカセットテープやMDにダビングしなければならず、そのためには実時間で最低一度は聴かなければならなかった。たとえクソ盤だったとしても。アルバムなら3,000円も出して買ったのだ。どこかに価値を見出そうといやいや流したりとかしていた。


そして出かけるときは、そのポータブルプレイヤーに合わせ、何をどれだけ持っていくか吟味したり。CDプレイヤーの場合は当然アルバム単位だが、ウォークマンやMDプレイヤーの場合はシングル曲をメインに自分で作ったベスト盤みたいなものもある(CDシングルはさすがに出し入れがめんどくさい。それでも聴くときは意識を高めてたが)。たくさん持っていけば荷物になるため、旅のお供となるテープやディスクの選別には頭を悩ませた。


それだけ、音楽を聴くことにこだわってたんだろう。それは不便ではあったけど、楽しい課程でもあった。


今はサブスクを利用し、パソコンやスマホで音楽を聴いてる。リッピングすることすら稀になった。懐メロから最新ヒットまで軽々と聴くことができる利便性はもう手放せない。


CDで音楽を楽しもうとしても、今の自分には経済的にも精神的にも時間的にもゆとりがない。なんなら部屋にCDラジカセ置く場所すらない。CD自体もだいぶ処分してしまった。もう、ダビング待ちの間にジャケを鑑賞したりインナースリーブを読み返す余裕が、ない。世知辛い日々だ。


音楽体験という意味で言うなら究極的には「聴ければいい」ので(AMラジオで流れてても名曲は名曲だ)昔は良かったとかなんとか言いたいわけじゃない。今十代だったとしたら、1,000円でなんでも聴けるサービスなんてありがたいに決まっている。


それでも時々思う。CD1枚1枚を慈しんで聴いてた頃のほうが、心豊かであったのではないかと。

大河ドラマ「 #麒麟がくる 」は「光秀最期の12日間」が観たかった

明智光秀を主人公にしたNHK大河ドラマ麒麟がくる」が終わった。


だいたいの戦国モノ時代劇って本能寺の変中国大返し山崎の戦い、って流れで描写されて、その間光秀が何してたかってほとんど描かれない。
だけど今年は光秀が主役だから、当然本能寺の変後の話もちゃんとやると思ってた。
本能寺の変直後から、光秀が何をして何を考えどう動き、そしてなぜ賛同者が出なかったのか、なぜ光秀は負けたのかとかそういうのが光秀視点で描かれると期待して一年観てきた。
ところがそのへんは全スルー。
山崎の合戦で秀吉に負けました、はい三年後、って、は?とか思った。
俺は歴史クラスタでも史実以外許さないマンでもないし、主役の無様な姿は見せたくないって発想で光秀の死を描かないってやり方もありうるとは考えてた。
しかしいきなり三年後秀吉の天下になりましたって言われてもなあ。
麒麟がくる」が信長と光秀の二人の物語なのだ、というなら、本能寺の変終わったところで「完」とかでもよかったわけだ。
「変」を事前に察知した秀吉なら中国大返しも説明がつく。あの、ちょっとワルそうな秀吉と光秀の山崎の戦いも楽しみにしてたのに。


新しい光秀像、新しい信長像、新しい秀吉像を描いてくれた作品だっただけに、「光秀最期の12日間」が観たかった。