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上伊由毘男のブログ

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命の価値は

生きるのめんどくさくなってきたんですが死ぬのもめんどくさいってレベルで何もしたくない、いやできない。


毎日生きていて、自分の命は、生きるに値するのかと考える。
教科書通りの回答なら「この世に生きるに値しない命なんかない。人命は何より尊きもので(以下略」おとかになるんでしょうが、さてこれは万民の理解を得られる考え方かどうか。
私が生きているのは許されるのだろうか。
誰の役にもたってない私が生きているのは許されるのだろうか。
以前はできていた事もどんどんできなくなっていき社会に生きる人として能力がどんどん失われている私が生きているのは許されるのだろうか。
富裕層は税金をたくさん収めてるのにそのわりに社会サービスを享受できてない。何も生み出さない底辺は税金をほとんど収めずに社会サービスを享受している。不公平だ、という意見を見たことがある。
その理屈で言うと、私を含めた貧困層は社会の重荷であり死んでくれたほうが社会にとってはありがたい、ということになる。
それでも、社会に必要とされていれば、生きる事はできる。あなたを大切に思う誰かのために生きるのは尊い。
私もかつては様々な仕事に就き、そこで必要とされているのであれば、朝は眠いかもしれないけど、会社に私の居場所はあった。それは命の証明かもしれない。
だが、今は病が長引いてかつてのような安定した仕事はできず、収入もかつての仕事に比べれば極めて少ない。
そして恥ずかしいことに(どうせ死ぬんだから恥ずかしいも何もないよな)、人生において異性に「好き」と言われたことがない。「ありがとう」とか「面白い」はあっても、「好き」と言われたことがない。私を必要としてくれる異性がいない。俺の遺伝子ここで打ち止め。そして「ありがとう」とか「面白い」も言われたのはまだ元気だった頃の話で、昔と同じ生活が出来ない今では、そうした言葉は思い出の中だけにだ。
何か長けた技能があるわけでなし、人気者でもない。今死んで泣いてくれる異性もいない。これまでお世話になってきたたくさんの優しい人に、何の恩返しもできない。する見通しも立たない。
最近、悪夢よく見るんですよ。過去のつらい苦しい経験からくるものばかり。俺だって子供の頃はそれなりに楽しい日もあったはずなのに、そういうことはどんどん記憶から消えていく。それに、昔の比較的良かった頃のことを思い出すと、何で今こんなみじめなことになってるのか。自分の無能さがうらめしい。


それでも、何の役にも立たない誰に求められてるでもないそんな俺でも、生きてることに価値があるのだろうか。

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