上伊由毘男のブログ

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生きる道がない

誰しも必ず生まれてきた意味があるんだとか、長所のない人間なんていないとか、フィクションノンフィクション問わず様々な言われようをされていますが、どうなんでしょうね。


私の話なんですけどね。これはちょっと手の出しようがないかななんて。


今やってる仕事だけでは生きていくのがやっと。これは、屋根のある部屋で一人暮らしができているという意味で。そりゃ気晴らしに映画観たり(ナイトショーで)、たまに回転寿司くらい食いますけど。
かつてやってきた仕事は、私自身も加齢によりかつてと同じ仕事ができず、かつ、職場で求められる技能がかつてとは異なっている。
これから新しい仕事をというと、アラフォーおっさんが新たに取り組める仕事は限られてるうえに、病気持ちなので体使う仕事は厳しい。
世の中に貢献できるわけでもなく、誰かに生きてて欲しいって思われてるでもなく(あ、子無し独身です)、将来に展望も持てず、病気もこれだけこじれるとおそらく一生付き合うことになるんじゃないかって気はしてる。


自分で自分の環境を冷静に考えると「詰み」としか思えない。
いざ、自分のこれからを考えても、「よりひどい」、「だいぶひどい」、「かなりひどい」、なんて選択肢しかない。そういう、希望のない未来に向かって生きると言うのは、身動きできないほど大きな荷物を背負ったまま、宛もなく砂漠を歩き続けるようだ。


どんな環境でも気持ちさえしっかりしていれば、とは思う。が、私の病気がそれをさせてくれない。他の人がなんでもないようにやってる当たり前のことも、私が同じようにできるかどうかわからない。


目が覚めると毎日思う。私は生きているに値する人間なのか、生きていてはいけないんじゃなかろうか、と。それでも、生きることを諦めてはいけないとするならば、今の私が今の私のままこの世に生存することを許されたい。今日を生きて明日まで生きていいんだ、という実感がほしい。それが何でどうやって手に入れるのかもわからないのだけど。


死んでも誰も泣いてくれないような生き方をしてきたので、これは報いなのかもしれない。これまで他の人にしてきたよろしくない仕打ちを思い出しては、今までロクな生き方してこなかったからバチがあたったのだとつぶやく。つらい。


この世に居場所がないならあの世へ行ってしまおうとか思う。でも踏ん切りもつかない。今日はダメだったけど明日には状況が好転するかもしれない。まあ根拠ないんですけど。そういう自分に都合のいい妄想をして眠りについて、目が覚めると何事もない詰んだ現実。そういう生活ももう疲れた。
明日まで生きられる希望があったらいいのに。