上伊由毘男のブログ

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生きていてごめんなさい

死にたい死にたいと思いながら結局今日も生きてる。だから死ぬ死ぬ詐欺なんて言葉が生まれるんだよな。


生きるためにしなければならないことが、病気をこじらせるたびにどんどんできなくなっていく。それは仕事が減るということだ。仕事というのが金を得る手段なのだから、仕事が減る度に収入は減り心も生活も困窮していく。
仕事ができない、金を生み出さない人間は、この世に生きてる価値が無い、ということを身を持って知る。人気や人望があればまた別だろうが残念ながら私には何もない。いやなくなってしまった。
生きることを誰からも望まれない、理解されるほどに好かれない、支援するほどの価値が無い、そういう人間が生きることを許される社会ではない。いや社会のせいではない。どこへ行ったって精神的及び金銭的なイニシアチブが無ければ、具体的な行動にはつながらない。
人生いろんな苦難があるけれども、それでも皆生きている、死にたいなんて甘えだ逃げだ、そういう声はイヤというほど耳にしてきた。ああそうかもしれない。もう逃げるところは死しか残されてない。自分の行きてる世界に逃げ場がなく、死という選択肢しか残されてなかったとしたら。
逃げ場もなければ解決策もない。
たとえ話を聞いてくれる人がいたとしても、生活に困窮してると相談されて、生きるよすがが無いと言われて、どれだけのことができるだろうか。
まして、自分の存在を認めてくれるたった一人の伴侶も得られなかった男など、生きる価値が無いと言われれば反論のしようもない。
自分の境遇から脱出する方法もわからないまま、また今日も生きてしまうのだろう。生きることを誰にも望まれず生きてるだけで罪悪感があるからつらい。