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上伊由毘男のブログ

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生きてるだけの人生にどれほどの意義があるのか

お先真っ暗という言葉があるが、自分の今おかれている状況を冷静に考えれば考えるほど、この先に光明は見えない。


昔はいろいろやってた。学校にも行ったし、いろんな会社で勤めもしたし、それで実際やっていけてたから、自分の人生について深く考えることもなかった。生きるので精一杯だったのかもしれない。そういう状況をなんとか変えたい、自分の気持ちの思うような人生を歩みたい。そう思って決断し行動したのだが、そうはならず、治るあてのない病気を患ってしまい、今までできてたことも何もできなくなってしまった。
自分の人生において、良かれと思う方向に向かっていったはずだが、結果的にこんなになってしまった。間違いだったとて、若き日に戻ってやり直しができるわけもなく。
今はもう、暗闇の中で、ただ昨日と同じ今日を過ごし、なんの希望もない明日に絶望する。
どう生きる。
どうもこうもない。世の中はめまぐるしく変わるのに、それに対応することもできず(しないのではない。私の能力ではできないのだ)、無人島にいるように私の周囲は時が流れず、体だけが年老いていく。
こういう人間は静かに自殺できるような仕組みを作れば、臓器とかいろいろ生きてる部分は生きたいと強く望む人へ移植して、生かすならぬ活かすことができるのではないか。私としても、誰からも生きてることを望まれてない人間にとって、最後の最後に誰かの役にたてるのなら、安らかに死ねる(痛いのは嫌だけど)。
そうはいっても実現は極めて困難なんでしょうが。
世の中ほとんどの人は死にたくないって思ってますよね。普通。それがまともですよ。
だけど、数年前に2回ほど自殺未遂してからは、死生観って言うんですかね、それが変わっちゃって。死がいつも隣りにある気がするんですよ。生きることがあたりまえに感じられないんですよね。一日の終わりに、ああ今日も生きてしまった、明日は死ぬのかな、クルマに轢かれるのかな、通り魔に刺されるのかな、工事現場で上から鉄骨でも落ちてくるかな、なんて考えてしまう。
昔は俺も楽しいこと考えられましたよ。将来の夢とか。若いころはありましたよ。でももうそういう歳ではないし。同じぐらいの歳の人たちがハツラツと生きているのを見ると、ああ俺はなんて非力なんだ、誰にも何もしてやることができないし人に望まれる能力もない。俺みたいな人間は死んだほうがいろいろムダがない。そんな風に考えてしまう。
そうはいっても死ぬほどの強い決意もできず、今日も明日もあさっても生きてるんだと思いますけど。