上伊由毘男のブログ

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学校や仕事が楽しいと思ったことなど一度もない

俺の人生なんだったんだとしばしば考えます。何もなさぬまま、若い世代に何も残せぬまま、歳だけを重ねてしまった。


ネットというかツイッターでは、学校行きたくない会社行きたくない休めない休出だサビ残だ終電だ徹夜だと、怨嗟の声が飛び交っています。この光景はネットで可視化されただけで、これまでも、昭和生まれの私の頃からも、あるいはもっと昔からも、風景としては同じだったかと思います。だから大型連休はうれしい。
これいつまで続くんでしょうね。
学生が勉強嫌いなのは定番ですけど、そこで出会いや楽しい思い出などあれば、また学校に対する感情は違ってくるのでしょう。けど私は結果的にそういう努力を怠っていた(今でこそそうわかりますが当時はそもそも人間関係何をしたらどうなるのかどうすれば良くなるのか全くわからなかった)。だから学校はつまらない場所であり息苦しさを感じていました。ずっと。
早く社会へ出たいと思いました。一日も早く、稼いだ金を実家に入れたり、身なりをきちんとしたり、大人のつきあい方(主に酒席)を覚えて、先輩たちの間に入って“立派な社会人”になりたいと思ってまし。そのためにどうしたら良いかを知らぬまま。と。同時に、働き始めたら自分の趣味とか楽しみのための行いはもうできなくなる、学生時代の遊びとかは捨て去らねばならない。これから生きてる限り延々と続く労働のために。そのように思ってました。
そして働き始めて気付きましたが、息抜きも希望もない日々は生きる意味がわからなくなるということでした。
仕事になんの面白みもない、というわけではありませんでした。自分に任せられた仕事には全力で取り組み、結果を分析して、また新しい仕事に活かす。気は張ってました。だから40度の熱出して点滴打ちながら三日連続夜勤とか、二十日以上の連勤とかを、我に七難八苦を与え給え的な発想で勤めてました。若いうちの苦労は買ってでもしろ的な。自分の代わりなんていないんだから自分がやらなきゃだめだ俺はここに必要とされている人間なんだ、今風に言えば承認欲求から“自ら”働いてたんですね。サビ残とか。経営者に洗脳されてたって気づくのはだいぶ後のことです。誰かのためじゃなく自分の人生を生きたい、楽しく生きたい、そう思った時には、若者と呼ばれる時期はとうに終わっていました。
その後、思うように生きれたか。ある部分ではそうです。若い日々を取り戻す的に。しかし、現状を打破するため、よりよい環境で生きるため、変化しないリスクの避け人生の節目節目で変化を選択したのはことごとく外れ、今は希望のない日々を、昨日と同じ今日を過ごし今日と変わらぬ明日を待つ肉塊になってしまいました。この世に生きる場所がどんどんなくなっていくような。


学校や会社はなんで楽しくないんでしょうね。その楽しくない場所でなんで人生の大半を過ごさなきゃならないんでしょうね。