上伊由毘男のブログ

ご連絡は mail at skicco.net までお願いします。このサイトはアフィリエイトを使用しています

「恋愛=結婚」ってのは幸福か不幸かというより自己決定権の求めるところではないでしょうか

f:id:skicco2:20141220071527j:plain


こういう話題なんで最初に申し上げますと、私自身は一度も結婚したことないし今もステディな関係の方もいないしおそらく今後もそういう浮いた話はないだろうと思われる、ただ生きてるだけのおっさんです。


デリケートな話題なんで、あくまで私の個人的感想として言いますと。
私のようなこれまでもこれからも結婚に縁がない人間には、人生の中で伴侶を得て親として子を育ててるってだけでも尊敬に値します。
もうおっさんなので周りも結婚した子供産まれたって話はちらほら入ってきます。
私にとっては、(血縁がないという意味で)赤の他人と一緒に暮らして愛を育み家庭を築くってのは、ちょっと想像がつかない大事業に思えるのです。未婚者としては、アポロで月に行くくらいの偉業じゃないか、なんて思ったり。


「恋愛=結婚」になるならそれに越したことではないんではないかと。



「恋愛=結婚」は本当に幸福な価値観なのか - シロクマの屑籠

恋愛と結婚を同じモノサシで推し量れば見落とすこともある。恋愛にあぐらをかいて結婚相手を決めるのは危険だし、恋愛に適さない相手を必ず結婚相手として不適とみなすのももったいない――それらの決めつけは、恋愛至上主義的な勘違いと言わざるを得ない。

ちょっとその考えは思いつきませんでした。
ある意味、恋愛は一瞬でできてしまうけど、結婚はそうもいかない、というのは一般常識としてわかります。
でも。
“恋愛にあぐらをかいて結婚相手を決め”てもいいんじゃないですかね。本人たちの決めたことであれば。あんまよくねえなあと思ったら離婚すればいいし。それもまた本人たちの決定です。
“恋愛に適さない相手を必ず結婚相手として不適とみなすのももったいない”ってのもなんというか。恋愛に適さない相手ってどんな人でしょうね。セクシャルな魅力が無い人とかですかね。それはもったいないもったいなくない以前に出会わないんじゃないでしょうか。それ意外のモノサシを使うとなると、家とか金とかもってるかとか、相手方の親がうるさくないかとか、財産はあるかとか、安定した巨大企業に勤めてるかとか、そういう部分でしょうかね。そういうのは今の若い人は我々の若いころ以上に重要視してるでしょうから(将来の見通しが全くたたない時代ですからね)、もったいないと言われるまでもないんじゃないでしょうか。

 恋愛と違って、結婚生活は長い。離婚せずにうまくやっていくなら、数十年に及ぶ人間関係になる。その、長い歳月を幸福に――いや、せめて不幸が少ないように――過ごすために必要な素養は何だろうか?異性を惹き付ける力や、男女関係をスタートアップさせる力ではなかろう。パートナーがどれだけモテようとも、そんなものが数十年に渡る人間関係に与える影響はたかが知れている。

ふーむ。
でも、私のように“異性を惹き付ける力や、男女関係をスタートアップさせる力”もない人間が、はたして何十年も良好な人間関係を築けるんでしょうか。何十年の心配する前にまずスタートアップさせろよ的な。

それより重要と思われるのは、

 

 1.信頼関係がちゃんと維持できること

 2.人間関係のマネジメントやメンテナンスをやる意志と能力を持っていること

 3.協同関係や分業関係に適していること

 

 のほうだろう。これらに恵まれた相手なら、モテや華やかな恋愛とは縁が遠かろうが、長い時間を共有するには適していると思われる。ただ、こうした素養はパートナーに期待するだけでは駄目で、

 

 4.自分自身もこれらの条件を満たしていること

 

 も重要だ。相手には信頼やマネジメントを期待しておきながら、自分にはその意志も能力も無いようなアンフェアな人では、幸福な結婚生活など望むべくもない。1.2.3.4.が不十分でも、せめて、そうしたものを目指そうという意識は必須だろう。

そういうちゃんとした人って、そんなにたくさんいるんでしょうか。
人間、ほとんどの人はなんかしらの欠点があり、それもまた個性であり、そうした自分と違う人をお互い受け入れ合う、認め合うってのが人間関係なんじゃないかと思うのですがどうでしょう。
上記の1,2,3,4全部できたらスーパーマンですよ。


かつての見合い結婚、親同士が決めた結婚、家どうしの結婚、というのは、女性が“子供を生む道具”と見られてた時代の悪習ではないかと。
今は、好きな人同士が結婚できるんです。
恋愛中の夢見心地のまま結婚して、それでうまくいかなかったら、やり直せばいいじゃないですか。離婚したからって色眼鏡で見る姿勢のほうが非難されるべきかと。

やたらモテる男女を志向するのでなく、しっかりとしたパートナーシップを志向するべきだし、そういう結婚観がもっと浸透したほうが不幸な結婚が減るんじゃないかと思う。

はじめからモテる男女はさておき、モテる男女を志向くらいはしないと、しっかりとしたパートナーシップのためのスタートラインにも立てないのでは。
あと、何が幸せで何が不幸かも、当人同士が決めることだと思います。
いろんな結婚のカタチがありますし、それを選べるのが今の世の中です。結婚のプロセスとして必須になったのは恋愛ではなく自己決定ではないかと思います。


私のように選ばれなかった人間は、淘汰されればいいんです。


誰かおいらを愛しておくれよ。


【関連記事】

生き地獄を生きろという権利が誰にあるか - 上伊由毘男のブログ