上伊由毘男のブログ

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時の流れに身をまかせてみたいと思ったことはありませんか

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私たちの生活は、時間にコントロールされています。テレビ放送、パソコンやスマフォの時間表示、交通機関の運行、エトセトラエトセトラ。晴れの日も雨の日も、出勤時間や交通機関の時刻表に合わせて家を出て、仕事をして、一時間の休憩を取り、またダイヤ通りの電車に揺られて帰宅する。電車が遅れたと言ってはイライラし、行こうと思ってたお店の閉店時間に間に合わずくやしがったり。


この世から、ネットもテレビも無くなってしまったとしても、この世の全ての時計が壊れたとしても、我々は生き続け、我々の時間は流れ続けます。その時、生活や時間はどうなるのでしょう。それはそれで、わりと楽しいんじゃないかななんて想像します。あくまで想像ですし、実際そうなったら大混乱間違いなしでしょうが。でも、時を刻めなくなったからといって、人類が一瞬で滅亡するわけでもありません。


夜が明けたら目覚め、時計がなければ約束も待ち合わせもできませんから、偶然に身を任せて出会った人々と話したり行動したり。暗くなってきたら、帰って寝る。暦がなければ、昨日と今日と明日があるだけです。そういう生活に、少しだけ憧れたりします。私はネットジャンキーなのでまず無理ですが。


人類で一番最初に、時の流れとか時刻とかを発見というか発明した人は、何がきっかけだったんでしょうね。時間が出来る前と出来た後で、生活はどんなに変わったんでしょうね。
と思って軽くググったら、人類は紀元前何千年とか文明の黎明期ですでに時計や暦を使ってました。そういやそうでした。日時計なんてのがあるくらいですからね。


電気というか灯りが無い時代は、日の出とともに生がはじまり、日没とともにその生が終わり、夜は次の日を生きるための休息、だった、のでしょうか。


全く文明から離れて生きることなどもう出来はしませんが、スマフォを家に置いて腕時計も外して出かければ、いつもとは違う時の流れを感じられるかもしれません。
そうは言ってもコンビニにも駅にも街頭にもだいたい時計あるから全く気にしないというのは無理かもですが。
ただ、野宿をした若い頃や、コンビニの夜勤の時に、あーなんか時間の流れ方違うかな〜みたいな感覚があったのを覚えています。田舎のコンビニなんで客もクルマの通りも少なくて、四車線の道路のど真ん中に大の字になって寝っ転がって、青くなってきた空を見上げたことがあったのですが、あれは不思議な感覚でした。


時間って不思議ですね。オチは特に無いです。