上伊由毘男のブログ

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憲法18条vs憲法27条

先日のエントリの大きな反響を頂いた。


「無職は悪」という考え方が、働く人を死に追いやる - 人は働く機械ではない


そして、私の希望する「働かなくても生きていける社会」に対して、予想通りというか、毎度のことながら「勤労の義務(キリッ」という意見がちらほら見えた。「勤労」が、賃労働のみを指してるわけでもあるまい。
それにだ。憲法で突っ込まれたら憲法で返すなら、18条をお忘れではないか。

何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

生活の安定を人質に労働を強いることは、憲法が認めていない。
人を過労死・過労自殺に追いやる強制労働こそが、憲法違反なのだ。
憲法を持ち出すなら、他の条文にも目を通してみてはいかがか。


あと、思わぬ方向から、思わぬ指摘があった。


無理せずに働ける社会という理想へ: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

過労死するほど仕事をする・・・のはいやだから、仕事をしなくてもいい社会にしよう

という両極端しか選択肢がないような発想につながってしまうのか、

それこそ、無理せずに誰でも働ける社会にしようというような、あんまり人目を惹く奇矯さはないけれど、ごくふつうの人のごくふつうの感覚に根ざした発想はいつも無視されてしまうのか、

そのあたりに、現代日本の病理の一つの根源があるような気がしないでもありません。


「無理せずに誰でも働ける社会」を実現するためには、ふざけた職場にいつでもノーを突きつけられる状態が必要であり、そのための「失業しても生活に困らない制度」なのだが。


「働かなくても生きていける社会」が実現すれば、無理のない仕事を選ぶことが可能になる。
「この仕事やりたいけど、給料安くて食えないから諦めざるを得ない」とか「この仕事嫌だけど金のためにしょうがない」とか言わなくてよくなる。
それはすなわち「無理せずに誰でも働ける社会」ではないのだろうか。