上伊由毘男のブログ

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生きていていいという証がほしい

まるで自分の心情が書かれているようなテキストがあった。
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20100416/p1

 「お前はもうそうやって呼吸しているだけしかできない。働こうにも働けない。しかたないから、生きていていいよ」

 そんな許容がほしい。居場所がほしい。生きていていいという証がほしい。もう勘弁してほしい。うんざりだ。みんなうんざりだし、俺はもう幼稚園に通わされた瞬間からうんざりしていたし、もう勘弁してほしい。もうつかれてしまったし、うんざりしている。多くは望まないから、飯を食べられて、布団で寝られる、それだけの、それだけの安心が欲しい。

同じことを何度も何度も考えてた。誰からも排除され、生きていくことを認められた実感がなく、ならば死ねばみんな納得するのかと。俺に残された唯一の選択肢は死なのかと。しかし実際のところ死ぬことすらめんどくさい。だから寝てる間に誰かが殺してくれれば苦しまずに死ねるのにとか思った。
そう、多くは望まない。これからも自分が生きていていいという安心が欲しいのだ。しかし今現状それを求めると、なんと刑務所くらいしか無いのだ。
俺は刑務所暮らししたことないからどれだけ不自由でどれだけつらいかはわからない。しかし三食と屋根と布団は確実にある。それだけでも路上生活者よりマシではないか。この世の中金が無ければ自由がないのと同義だ。
働くことが、いや生きること自体がつらい。そういう人間は死ぬしか無いのだろうか。
このid:goldheadさんの文章はまるで自分の心境のようだ。そしてそれゆえにid:goldhead手をさしのべることが出来ない。他人に向かって「生きていてもいい」と言うことは、とても重く覚悟がいることだ。
「死んじゃダメだ」
「生きなければならない」
そんな口先だけの言葉は聞きあきた。
もう頭も働かないし、体も満足に動かない。愛してくれる人もいない。そんな状態の人間に、生きろと言えるか?